Facebookに感じる「そこにいる」という感覚

最近、Facebookを使っていると「相手がそこにいる」という感じを覚えはじめました。
これまでネット上で人とコミュニケーションを取る手段は数多くありましたが、殆どはこういった感覚はなかったんです。


頻繁にやりとりをしていても、イメージ的にはお面をかぶって顔が見えなくて声だけで会話しているような感覚だったり、
姿すら見えずに言葉だけ残ってるような感覚だったり、
直接の知り合いであっても、メールなどだと手紙のやりとりのような感覚でした。


それが1度も話した事が無い人とでも、Facebook上では「自分と同じように、感情を持った人がそこにいる」という感覚が出てきた。
Facebook上では、迷いながらも自分の気持ちや意見を出したり、ちょっとした事でも共感したり、してもらったり、そこには人と人とが善意で築いていける社会が出来てきているように思います。


ネット上で「自分」という存在をある程度明確に形として開示して、自分の発言には(必然的に)責任を持つ事になり、結果的にコミュニティーの中で自然と形成されていく社会という、リアルな世界と同じような状況になってきているような気がします。


これ、「検索」の世界では同じ事は出来ないんだなと思いました。
検索という行動は、お店なり情報なり場所などという、「明確な何か」を探す行為であって、「人の感情」とか「コミュニケーション」とはちょっと違うんですよね。


人とのコミュニケーションに正確さとか速さとかはあまり重要ではなくて、相手がどう感じるか、自分がどう感じたか、といった事の方が重要なんだと思います。
数が多いというのも関係ないし、声が大きければいいという訳でもない。


こういった感覚を覚えさせるFacebookは、そんな人と人を結びつけていく場として非常に良く出来ているんだなとあらためて感じています。
無理に発言する必要もないし、無理に友達を増やす必要もないし、無理に仕事に結びつける必要もない。
心地良いと思う使い方をするのが、Facebookを使う上では最も重要な事なのではないかな?と思います。