iPhoneやiPadは製品ではなくサービスだと思う

iPadに飽きたという記事を見て思った事。


iPadに限らず、こういった発言が出てくるのはよくある事ですが、周囲でiPhoneiPadを使っている人を見ていて、
外から見たら同じ見た目なのに、使い手次第ではiPadiPhone)は全く別物になっているのだという事。


強く求めれば魔法のようなツールとなり、求めなければただのiPod携帯になる。


こんなにシンプルなのに、なんて深い端末なんでしょうか。
機能が少ないのではなく、使い手がどう使っていくかをとことん考え抜き、それを実現させる為の基盤(プラットフォーム)を作るのに徹底して、可能性は広げつつ機能は絞り込んだ結果なのだと想像できます。
それにしても、Appleはどこまで今の使い方を予想していたのだろう?


Appleが提供しているのはiPhoneiPadを通したサービスなのに対して、それ以外のメーカーの殆どは製品を提供しているのだと思う。
Android自体はとてつもないポテンシャルを秘めているけれど、iOS、というかAppleには別の雰囲気を感じる。


製品というのは何が出来るのかといった機能面が目立つが、
サービスはどういう体験が出来るのか、提供するかという面に注力されている。


今はWindowsMobileを少し触っているが、機能で言えばタップすれば写真が表示されるし、スライドすれば次の写真が見れる。これはiPhoneと一緒。
ところが体験として見ると、iPhoneでは滑らかに動くのに対して、WindowsMobileではワンテンポ遅れて表示されたりカクカクしている。
WindowsMobileにはあれもこれもと、あちらこちらにアイコンや設定画面など機能がたくさんある。


製品という意識で作り続けている内は、いい商品は出てこないのではないかと感じます。
先程Appleには別の雰囲気を感じると書きましたが、サービスという面から見た時に私はリッツカールトンを思い出します。


ある人は行く度に感動し、
ある人はいいホテルだけど特別凄いという事はなかったと言う。


詳細は省きますが、両者の違いは、リッツカールトンへ求めていたものの差です。


別に悪く言う訳ではありませんが、6千円程度のビジネスホテルにいくら感動を求めていたとしても無理な話です。
そもそも提供しようとしているものが違うのですから、同じホテルという施設だとしても、得られる体験は全く別物です。それに何を求めるかは人それぞれ。


私はiPhone/iPadを使う程に、サービス業のような雰囲気がします。
素晴らしい体験をさせたいという意気込み、驚くような感動をさせたいという気概を感じます。
それがたまたまITの世界で、商品という形をとっているだけなのでは。


レベルの高いサービスというのは、受け手側にも力量が求められます。
iPhoneiPadも何も求めずに使っていると、何も変化も進化も無い日が続きます。


逆に調べたり試したりしていると、その分だけ変化していきます。
私自身も受け手として、このiPhoneiPadを通して提供されている、この質の高いサービスに置いていかれないようにしていきたいと思います。