Facebookと実名デビューから半年経って思う事

私がWeb上で実名デビューしたのは昨年の6月下旬、「facebookと実名へのトライ」の時から。
ネット上で実名を出すという事に不慣れな上、人見知りが激しい私にとってはとても勇気のいる行為でした。


しかし、
 ・Webとリアルの距離感が急速に縮まって来ているのを感じ始めていた事
 ・露出リテラシーソーシャルメディアリテラシーを少しずつでも上げていこうと思った事
 ・私自身の人生においての方向性が決まった事で露出させる意味と目的が出来た事
が重なり、恐る恐る実名に変えていきました。


それから7ヶ月経った現在、リアルな世界での友人知人が、最近ジワジワとソーシャルな世界でも繋がりを持ち始めてきています。
特にこちらから使っているという事は知らせていなくても、検索して見つけてくれています。


ここ最近はなかなか会えない友人がFacebookを始めたり、Twitterで見つけてくれたりして、細かなコンタクトが取れるようになりました。
直接会話をせずとも、お互いの発言などを見ているだけでも近くに感じます。


しばらくの間は実名にも抵抗がありましたが、ある程度慣れてくるとそれ程気にならなくなってきました。
結局のところ、慣れの問題なのかな?と。


どのみち、遅かれ早かれネットを実名で使うようになるのは自然な流れだと思うし、まだ実名に抵抗ある人は少しずつでも慣れておく方がいいのではないかと思います。
ネットとリアルの境界線は急速に曖昧になりつつあって、既にエジプトの例を見ても、リアルな社会に強い影響を及ぼす場となっています。(Facebook自体ではなく、そこで形成されたコミュニティによるものですが)


私自身、たかだか半年ちょっとですが、そういった流れを感じる時がよくあります。
「周りは」「殆どの人が」「今人気がある」「よく使われる」「普通は」「通例として」といった多数決的、量的、平均的なものが力を持つのではなく、「私はこれがいい」「私もそれがいいと思う」「私もそう思う」「そっちもいいけどこっちもいい」などという個々の意思と共感による力が、個人に対しても、コミュニティーとしても非常に機能するように感じます。


例えば周りは言っていないけど、自分はこう思うという発言をした時、1人でも共感してくれる人がいると気持ちが強く持てたりします。


それと興味深い感覚も出てきました。
どうやらリアルでの私と、ネットでの私というのは、ちょっと別の人になっているという事です。


これまでもネット上では匿名で書き込みとかしていれば、ネット上では別の人になれていましたが、
実名を出して、あくまでも私という存在を開示しているにも関わらず、やはりネット上にはもう一人の私がいるようなんですね。


ネットの私を構成させるには、ネット上のプロフィール、ブログの記事、写真、ツイートなど、表に出てくる内容をもとに周りは私の事をイメージします。
出来る限り自身について開示しなければ、かなりの確率で全く違う人物像として認識されると思います。
この辺りは露出リテラシーになってくると思いますが、なんでもかんでもではなく、出す情報を選びながら開示していく必要はあると感じます。


とにかくまだ実名に抵抗がある人は、早い内から慣れていくと良いと思います。
Facebookで実名登録して、ごくごく限られた数人とだけでもいいので、始めてはいかがでしょうか?